翌朝、ハリーは早々と目を覚ました。朝の光だとわかったが、ハリーは目を固く閉じたままでいた。
「夢だったんだ」
ハリーはきっぱりと自分に言い聞かせた。
「ハグリッドっていう大男がやってきて、僕が魔法使いの学校に入るって言ったけど、あれは夢だったんだ。目を開けたら、きっとあの物置の中にいるんだ」
その時、戸を叩く大きな音がした。
「ほら、ペチュニアおばさんが戸を叩いている」
ハリーの心は沈んだ。それでもまだ目を開けなかった。いい夢だったのに……。
トン、トン、トン、
「わかったよ。起きるよ」ハリーはモゴモゴと言った。
起き上がると、ハグリッドの分厚いコートがハリーの体から滑り落ちた。小屋の中はこぼれるような陽の光だった。嵐は過ぎた。ハグリッドはペチャンコになったソファで眠っていた。ふくろうが足の爪で窓ガラスを叩いている。嘴に新聞をくわえている。
ハリーは急いで立ち上がった。うれしくて、胸の中で風船が大きく膨らんだ。まっすぐ窓辺まで行って、窓を開け放った。ふくろうが窓からスイーッと入ってきて、新聞をハグリッドの上にポトリと落とした。ハグリッドはそれでも起きない。ふくろうはヒラヒラと床に舞い降り、ハグリッドのコートを激しく突っつきはじめた。
「だめだよ」
ハリーがふくろうを追い払おうとすると、ふくろうは鋭い嘴をハリーに向かってカチカチ言わせ、獰猛にコートを襲い続けた。
「ハグリッド、ふくろうが……」
ハリーは大声で呼んだ。
「金を払ってやれ」
ハグリッドはソファーに顔を埋めたままモゴモゴ言った。
「えっ?」
「新聞配達料だよ。ポケットの中を見てくれ」
ハグリッドのコートは、ポケットをつないで作ったみたいにポケットだらけだ……鍵束、ナメクジ駆除剤、紐の玉、ハッカ・キャンディー、ティーバッグ……そしてやっと、ハリーは奇妙なコインを一つかみ引っ張り出した。
「五クヌートやってくれ」
ハグリッドの眠そうな声がした。
「クヌート?」
「小さい銅貨だよ」
ハリーは小さい銅貨を五枚数えた。ふくろうは足を差し出した。小さい革の袋が括りつけてある。お金を入れるとふくろうは開けっ放しになっていた窓から飛び去った。
ハグリッドは大声で欠伸をして起き上がり、もう一度伸びをした。
「出かけようか、ハリー。今日は忙しいぞ。ロンドンまで行って、おまえさんの入学用品を揃えんとな」
ハリーは魔法使いのコインを、いじりながらしげしげと見つめていた。そしてその瞬間、あることに気がついた。とたんに、幸福の風船が胸の中でパチンとはじけたような気持がした。
「あのね……ハグリッド」
「ん?」
ハグリッドはどでかいブーツをはきながら聞き返した。
「僕、お金がないんだ……それに、きのうバーノンおじさんから聞いたでしょう。僕が魔法の勉強をしにいくのにはお金は出さないって」
「そんなことは心配いらん」
ハグリッドは立ち上がって頭をボソボソ掻きながら言った。
「父さん母さんがおまえさんになんにも残していかなかったと思うのか?」
「でも、家が壊されて……」
「まさか! 家の中に金なんぞ置いておくものか。さあ、まずは魔法使いの銀行、グリンゴッツへ行くぞ。ソーセージをお食べ。冷めてもなかなかいける。……それに、おまえさんのバースデーケーキを一口、なんてのも悪くないね」
「魔法使いの世界には銀行まであるの?」
「一つしかないがね。グリンゴッツだ。小鬼が経営しとる」
「こ・お・に? 」
ハリーは持っていた食べかけソーセージを落としてしまった。
「そうだ……だから、銀行強盗なんて狂気の沙汰だ、ほんに。小鬼ともめ事を起こすべからずだよ、ハリー。何かを安全にしまっておくには、グリンゴッツが世界一安全な場所だ。たぶんホグワーツ以外ではな。実は、他にもグリンゴッツに行かにゃならん用事があってな。ダンブルドアに頼まれて、ホグワーツの仕事だ」
ハグリッドは誇らしげに反り返った。
「ダンブルドア先生は大切な用事をいつも俺に任せてくださる。おまえさんを迎えにきたり、グリンゴッツから何か持ってきたり……俺を信用していなさる。な?」
「忘れ物はないかな。そんじゃ、出かけるとするか」
ハリーはハグリッドについて岩の上に出た。空は晴れわたり、海は陽の光に輝いていた。バーノンおじさんが借りた船は、まだそこにあったが、嵐で船底は水浸しだった。
「どうやってここに来たの?」
もう一艘船があるかと見回しながらハリーが聞いた。
「飛んで来た」
「飛んで? 」
「そうだ……だが、帰り道はこの船だな。おまえさんを連れ出したから、もう魔法は使えないことになっとる」
二人は船に乗り込んだ。ハリーはこの大男がどんなふうに飛ぶんだろうと想像しながら、ハグリッドをまじまじと見つめていた。
「しかし、漕ぐっちゅうのも癪だな」
ハグリッドはハリーにチラッと目配せした。
「まあ、なんだな、ちょっくら……エー、急ぐことにするが、ホグワーツではバラさんでくれるか?」
「もちろんだよ」
ハリーは魔法が見たくてウズウズしていた。ハグリッドはまたしてもピンクの傘を取り出して、船べりを傘で二度叩いた。すると、船は滑るように岸に向かった。
「グリンゴッツを襲うのはどうして狂気の沙汰なの?」
「呪い……呪縛だな」
ハグリッドは新聞を広げながら答えた。
「噂では、重要な金庫はドラゴンが守っているということだ。それに、道に迷うさ――グリンゴッツはロンドンの地下数百キロのところにある。な? 地下鉄より深い。何とか欲しいものを手に入れたにしても、迷って出てこられなけりゃ、餓死するわな」
ハグリッドが「日刊予言者新聞」を読む間、ハリーは黙っていま聞いたことを考えていた。新聞を読む間は邪魔されたくないものということを、バーノンおじさんから学んではいたが、黙っているのは辛かった。生まれてこのかた、こんなにたくさん質問したかったことはない。
「魔法省がまた問題を起こした」
ハグリッドがページをめくりながら呟いた。
「魔法省なんてあるの?」
ハリーは思わず質問してしまった。
「さよう。当然、ダンブルドアを大臣にと請われたんだがな、ホグワーツを離れなさるわけがない。そこでコーネリウス・ファッジなんてのが大臣になってな。あんなにドジなやつも珍しい。毎朝ふくろう便を何羽も出してダンブルドアにしつこくお伺いをたてとるよ」
「でも、魔法省って、いったい何するの?」
「そうさな、一番の仕事は魔法使いや魔女があちこちにいるんだってことを、マグルに秘密にしておくことだ」
「どうして?」
「どうしてってかって? そりゃあおまえ、みんなすぐ魔法で物事を解決したがるようになろうが。うんにゃ、我々はかかわり合いにならんのが一番いい」
その時、船は港の岸壁にコツンと当たった。ハグリッドは新聞をたたみ、二人は石段を登って道に出た。
小さな町を駅に向かって歩く途中、道行く人がハグリッドをじろじろ見た。無理もない。ハグリッドときたら、並みの人の二倍も大きいというだけでなく、パーキングメーターのようなごくあたり前の物を指さしては、大声で、「あれを見たか、ハリー。マグルの連中が考えることときたら、え?」などと言うのだから。
ハリーはハグリッドに遅れまいと小走りで、息を弾ませながら尋ねた。
「ねえ、ハグリッド。グリンゴッツにドラゴンがいるって言ったね」
「ああ、そう言われとる。俺はドラゴンが欲しい。いやまったく」
「欲しい? 」
「ガキのころからずーっと欲しかった。……ほい、着いたぞ」
駅に着いた。あと五分でロンドン行きの電車が出る。ハグリッドは「マグルの金」はわからんと、ハリーに紙幣を渡し、二人分の切符を買わせた。
電車の中で、ハグリッドはますます人目をひいた。二人分の席を占領して、カナリア色のサーカスのテントのようなものを編みはじめたのだ。
「ハリー、手紙を持っとるか?」
編み目を数えながらハグリッドが聞いた。
ハリーは羊皮紙の封筒をポケットから取り出した。
「よし、よし。そこに必要なもののリストがある」
ハリーは、昨夜は気づかなかった二枚目の紙を広げて読みあげた。
ホグワーツ魔法魔術学校
制服
一年生は次の物が必要です。
一、普段着のローブ 三着(黒)
二、普段着の三角帽(黒) 一個 昼用
三、安全手袋(ドラゴンの革またはそれに類するもの) 一組
四、冬用マント 一着(黒。銀ボタン)
衣類にはすべて名前をつけておくこと。
教科書
全生徒は次の本を各一冊準備すること。
「基本呪文集(一学年用)」 ミランダ・ゴズホーク著
「魔法史」 バチルダ・バグショット著
「魔法論」 アドルバート・ワフリング著
「変身術入門」 エメリック・スィッチ著
「薬草ときのこ千種」 フィリダ・スポア著
「魔法薬調合法」 アージニウス・ジガー著
「幻の動物とその生息地」 ニュート・スキャマンダー著
「闇の力――護身術入門」 クエンティン・トリンブル著
その他学用品
杖(一)
大鍋(錫製、標準2型)(一)
ガラス製またはクリスタル製の薬瓶(一組)
望遠鏡(一)
真鍮製秤(一組)
ふくろう、または猫、またはヒキガエルを持ってきてもよい。
一年生は個人用箒の持参は許されていないことを、保護者はご確認ください。
「こんなのが全部ロンドンで買えるの?」
思ったことがつい声に出てしまった。
「どこで買うか知ってればな」とハグリッドが答えた。
ハリーにとって初めてのロンドンだった。ハグリッドはどこに行くのかだけはわかっているらしかったが、そこへ向かう途中の行動は、普通の人とはまったくかけ離れたものだった。地下鉄の改札口が小さすぎてつっかえたり、席が狭いの、電車がのろいのと大声で文句を言ったりした。
「マグルの連中は魔法なしでよくやっていけるもんだ」
故障して動かないエスカレーターを上りながらもハグリッドは文句を言う。外に出ると、そこは店が建ち並ぶにぎやかな通りだった。
ハグリッドは大きな体で悠々と人込みを掻き分け、ハリーは後ろにくっついて行きさえすればよかった。本屋の前を通り、楽器店、ハンバーガー屋、映画館を通り過ぎたが、どこにも魔法の杖を売っていそうな店はなかった。ごく普通の人でにぎわう、ごく普通の街だ。この足の下、何キロもの地下に、魔法使いの金貨の山が本当に埋められているのだろうか。呪文の本や魔法の箒を売る店が本当にあるのだろうか。みんなダーズリー親子がでっち上げた悪い冗談じゃないのか。でもダーズリー親子にはユーモアのかけらもない。だから冗談なんかじゃない。ハグリッドの話は始めから終りまで信じられないようなことばかりだったが、なぜかハリーはハグリッドなら信用できた。
「ここだ」
ハグリッドは立ち止まった。
「『漏れ鍋』――有名なところだ」
ちっぽけな薄汚れたパブだった。ハグリッドに言われなかったら、きっと見落としてしまっただろう。足早に道を歩いてゆく人たちも、パブの隣にある本屋から反対隣にあるレコード店へと目を移し、真ん中の「漏れ鍋」にはまったく目もくれない。――変だな、ハグリッドと自分だけにしか見えないんじゃないか、とハリーは思ったが、そう口にする前に、ハグリッドがハリーを中へと促した。
有名なところにしては、暗くてみすぼらしい。隅の方におばあさんが二、三人腰掛けて小さなグラスでシェリー酒を飲んでいた。一人は長いパイプをくゆらしている。小柄な、シルクハットをかぶった男がバーテンのじいさんと話している。じいさんはハゲていて、歯の抜けたクルミのような顔をしている。二人が店に入ると、低いガヤガヤ声が止まった。みんなハグリッドを知っているようだった。手を振ったり、笑いかけたりしている。バーテンはグラスに手を伸ばし、「大将、いつものやつかい?」と聞いた。
「トム、だめなんだ。ホグワーツの仕事中でね」
ハグリッドは大きな手でハリーの肩をパンパン叩きながらそう言った。ハリーは膝がカクンとなった。
「なんと。こちらが……いやこの方が……」
バーテンはハリーの方をじっと見た。「漏れ鍋」は急に水を打ったように静かになった。
「やれうれしや!」
バーテンのじいさんは囁くように言った。
「ハリー・ポッター……何たる光栄……」
バーテンは急いでカウンターから出てきてハリーに駆け寄ると、涙を浮かべてハリーの手を握った。
「お帰りなさい。ポッターさん。本当にようこそお帰りで」
ハリーは何と言っていいかわからなかった。みんながこっちを見ている。パイプのおばあさんは火が消えているのにも気づかず、吹かし続けている。ハグリッドは誇らしげにニッコリしている。
やがてあちらこちらで椅子を動かす音がして、パブにいた全員がハリーに握手を求めてきた。
「ドリス・クロックフォードです。ポッターさん。お会いできるなんて、信じられないぐらいです」
「なんて光栄な。ポッターさん。光栄です」
「あなたと握手したいと願い続けてきました……舞い上がっています」
「ポッターさん。どんなにうれしいか、うまく言えません。ディグルです。ディーダラス・ディグルと言います」
「僕、あなたに会ったことがあるよ。お店で一度僕にお辞儀してくれたよね」
ハリーがそう言うと、ディーダラス・ディグルは興奮のあまりシルクハットを取り落とした。
「覚えていてくださった! みんな聞いたかい? 覚えていてくださったんだ」
ディーダラス・ディグルはみんなを見回して叫んだ。
ハリーは次から次と握手した。ドリス・クロックフォードなど何度も握手を求めてきた。青白い顔の若い男がいかにも神経質そうに進み出た。片方の目がピクピク痙攣している。
「クィレル教授!」
ハグリッドが言った。
「ハリー、クィレル先生はホグワーツの先生だよ」
「ポ、ポ、ポッター君」
クィレル先生はハリーの手を握り、どもりながら言った。
「お会いできて、ど、どんなにう、うれしいか」
「クィレル先生、どんな魔法を教えていらっしゃるんですか?」
「や、や、闇の魔術に対するぼ、ぼ、防衛です」
教授は、まるでそのことは考えたくないとでもいうようにボソボソ言った。
「君にそれがひ、必要だというわけではな、ないがね。え? ポ、ポ、ポッター君」
教授は神経質そうに笑った。
「学用品をそ、揃えにきたんだね? わ、私も、吸血鬼の新しいほ、本をか、買いにいく、ひ、必要がある」
教授は自分の言ったことにさえ脅えているようだった。
みんなが寄ってくるので、教授がハリーを独り占めにはできなかった。それから十分ほどかかって、ハリーはやっとみんなから離れることができた。ガヤガヤ大騒ぎの中で、ハグリッドの声がやっとみんなの耳に届いた。
「もう行かんと……買い物がごまんとあるぞ。ハリー、おいで」
ドリス・クロックフォードがまたまた最後の握手を求めてきた。
ハグリッドはパブを通り抜け、壁に囲まれた小さな中庭にハリーを連れ出した。ゴミ箱と雑草が二、三本生えているだけの庭だ。
ハグリッドはハリーに向かって、うれしそうに笑いかけながら言った。
「ほら、言ったとおりだろ? おまえさんは有名だって。クィレル先生まで、おまえに会った時は震えてたじゃないか……もっとも、あの人はいっつも震えてるがな」
「あの人、いつもあんなに神経質なの?」
「ああ、そうだ。哀れなものよ。秀才なんだが。本を読んで研究しとった時はよかったんだが、一年間実地に経験を積むちゅうことで休暇を取ってな……どうやら黒い森で吸血鬼に出会ったらしい。その上鬼婆といやーなことがあったらしい……それ以来じゃ、人が変わってしもた。生徒を怖がるわ、自分の教えてる科目にもビクつくわ……さてと、俺の傘はどこかな?」
吸血鬼? 鬼婆? ハリーは頭がクラクラした。ハグリッドはといえば、ゴミ箱の上の壁のレンガを数えている。
「三つ上がって……横に二つ……」
ブツブツ言っている。
「よしと。ハリー下がってろよ」
ハグリッドは傘の先で壁を三度叩いた。すると叩いたレンガが震え、次にクネクネと揺れた。そして真ん中に小さな穴が現れたかと思ったらそれはどんどん広がり、次の瞬間、目の前に、ハグリッドでさえ十分に通れるほどのアーチ形の入口ができた。そのむこうには石畳の通りが曲がりくねって先が見えなくなるまで続いていた。
「ダイアゴン横丁にようこそ」
ハリーが驚いているのを見て、ハグリッドがニコーッと笑った。二人はアーチをくぐり抜けた。ハリーが急いで振り返った時には、アーチは見る見る縮んで、固いレンガ壁に戻るところだった。
そばの店の外に積み上げられた大鍋に、陽の光がキラキラと反射している。上には看板がぶら下がっている。
鍋屋―大小いろいろあります―銅、真鋳、錫、銀―自動かき混ぜ鍋―折畳み式
「一つ買わにゃならんが、まずは金を取ってこんとな」とハグリッドが言った。
目玉があと八つぐらい欲しい、とハリーは思った。いろんな物を一度に見ようと、四方八方キョロキョロしながら横丁を歩いた。お店、その外に並んでいるもの、買い物客も見たい。薬問屋の前で、小太りのおばさんが首を振り振り呟いていた。
「ドラゴンの肝、三十グラムが十七シックルですって。ばかばかしい……」
薄暗い店から、低い、静かなホーホーという鳴き声が聞こえてきた。看板が出ている。
イーロップのふくろう百貨店―森ふくろう、このはずく、めんふくろう、茶ふくろう、白ふくろう
ハリーと同い年ぐらいの男の子が数人、箒のショーウィンドウに鼻をくっつけて眺めている。誰かが何か言っているのが聞こえる。
「見ろよ。ニンバス2000新型だ……超高速だぜ」
マントの店、望遠鏡の店、ハリーが見たこともない不思議な銀の道具を売っている店もある。
こうもりの脾臓やうなぎの目玉の樽をうずたかく積み上げたショーウィンドウ。いまにも崩れてきそうな呪文の本の山。羽根ペンや羊皮紙、薬瓶、月球儀……。
「グリンゴッツだ」ハグリッドの声がした。
小さな店の立ち並ぶ中、ひときわ高くそびえる真っ白な建物だった。磨き上げられたブロンズの観音開きの扉の両脇に、真紅と金色の制服を着て立っているのは……。
「さよう、あれが小鬼だ」
そちらに向かって白い石段を登りながら、ハグリッドがヒソヒソ声で言った。小鬼はハリーより頭一つ小さい。浅黒い賢そうな顔つきに、先の尖った顎鬚、それに、なんと手の指と足の先の長いこと。二人が入口に進むと、小鬼がお辞儀した。中には二番目の扉がある。今度は銀色の扉で、何か言葉が刻まれている。
見知らぬ者よ 入るがよい
欲のむくいを 知るがよい
奪うばかりで 稼がぬものは
やがてはつけを 払うべし
おのれのものに あらざる宝
わが床下に 求める者よ
盗人よ 気をつけよ
宝のほかに 潜むものあり
「言ったろうが。ここから盗もうなんて、狂気の沙汰だわい」
とハグリッドが言った。
左右の小鬼が、銀色の扉を入る二人にお辞儀をした。中は広々とした大理石のホールだった。
百人を超える小鬼が、細長いカウンターのむこう側で、脚高の丸椅子に座り、大きな帳簿に書き込みをしたり、真鍮の秤でコインの重さを計ったり、片眼鏡で宝石を吟味したりしていた。ホールに通じる扉は無数にあって、これまた無数の小鬼が、出入りする人々を案内している。ハグリッドとハリーはカウンターに近づいた。
「おはよう」
ハグリッドが手のすいている小鬼に声をかけた。
「ハリー・ポッターさんの金庫から金を取りに来たんだが」
「鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」
「どっかにあるはずだが」
ハグリッドはポケットをひっくり返し、中身をカウンターに出しはじめた。かびの生えたような犬用ビスケットが一つかみ、小鬼の経理帳簿にバラバラと散らばった。小鬼は鼻にしわを寄せた。ハリーは右側の方にいる小鬼が、まるで真っ赤に燃える石炭のような大きいルビーを山と積んで、次々に秤にかけているのを眺めていた。
「あった」
ハグリッドはやっと出てきた小さな黄金の鍵をつまみ上げた。
小鬼は、慎重に鍵を調べてから、「承知いたしました」と言った。
「それと、ダンブルドア教授からの手紙を預ってきとる」
ハグリッドは胸を張って、重々しく言った。
「七一三番金庫にある、例の物についてだが」
小鬼は手紙を丁寧に読むと、「了解しました」とハグリッドに返した。
「誰かに両方の金庫へ案内させましょう。グリップフック!」
グリップフックも小鬼だった。ハグリッドが犬用ビスケットを全部ポケットに詰め込み終えてから、二人はグリップフックについて、ホールから外に続く無数の扉の一つへと向かった。
「七一三番金庫の例の物って、何?」ハリーが聞いた。
「それは言えん」
ハグリッドは曰くありげに言った。
「極秘じゃ。ホグワーツの仕事でな。ダンブルドアは俺を信頼してくださる。おまえさんにしゃべったりしたら、俺がクビになるだけではすまんよ」
グリップフックが扉を開けてくれた。ハリーはずっと大理石が続くと思っていたので驚いた。そこは松明に照らされた細い石造りの通路だった。急な傾斜が下の方に続き、床に小さな線路がついている。グリップフックが口笛を吹くと、小さなトロッコがこちらに向かって元気よく線路を上がってきた。三人は乗り込んだ……ハグリッドもなんとか収まった――発車。
クネクネ曲がる迷路をトロッコはビュンビュン走った。ハリーは道を覚えようとした。左、右、右、左、三叉路を直進、右、左、いや、とてもとうてい無理だ。グリップフックが舵取りをしていないのに、トロッコは行き先を知っているかのように勝手にビュンビュン走っていく。
冷たい空気の中を風を切って走るので、ハリーは、目がチクチクしたが、大きく見開いたままでいた。一度は、行く手に火が吹き出したような気がして、もしかしたらドラゴンじゃないかと身をよじって見てみたが、遅かった――トロッコはさらに深く潜っていった。地下湖のそばを通ると、巨大な鍾乳石と石筍が天井と床からせり出していた。
「僕、いつもわからなくなるんだけど」
トロッコの音に負けないよう、ハリーはハグリッドに大声で呼びかけた。
「鍾乳石と石筍って、どう違うの?」
「三文字と二文字の違いだろ。たのむ、いまはなんにも聞いてくれるな。吐きそうだ」
たしかに、ハグリッドは真っ青だ。小さな扉の前でトロッコはやっと止まり、ハグリッドは降りたが、膝の震えの止まるまで通路の壁にもたれかかっていた。
グリップフックが扉の鍵を開けた。緑色の煙がモクモクと吹き出してきた。それが消えたとき、ハリーはあっと息を呑んだ。中には金貨の山また山。高く積まれた銀貨の山。そして小さなクヌート銅貨までザックザクだ。
「みーんなおまえさんのだ」ハグリッドはほほえんだ。
全部僕のもの……信じられない。ダーズリー一家はこのことを知らなかったに違いない。知っていたら、瞬く間にかっさらっていっただろう。僕を養うのにお金がかかってしょうがないとあんなに愚痴を言っていたんだもの。ロンドンの地下深くに、こんなにたくさんの僕の財産がずーっと埋められていたなんて。
ハグリッドはハリーがバッグにお金を詰め込むのを手伝った。
「金貨はガリオンだ。銀貨がシックルで、十七シックルが一ガリオン、一シックルは二十九クヌートだ。簡単だろうが。よーしと。これで、二、三学期分は大丈夫だろう。残りはここにちゃーんとしまっといてやるからな」
ハグリッドはグリップフックの方に向き直った。
「次は七一三番金庫を頼む。ところでもうちーっとゆっくり行けんか?」
「速度は一定となっております」
一行はさらに深く、さらにスピードを増して潜っていった。狭い角を素早く回り込むたび、空気はますます冷えびえとしてきた。トロッコは地下渓谷の上をビュンビュン走った。ハリーは身を乗り出して暗い谷底に何があるのかとのぞき込んだが、ハグリッドは呻き声をあげてハリーの襟首をつかみ引き戻した。
七一三番金庫には鍵穴がなかった。
「下がってください」
グリップフックがもったいぶって言い、長い指の一本でそっとなでると、扉は溶けるように消え去った。
「グリンゴッツの小鬼以外の者がこれをやりますと、扉に吸い込まれて、中に閉じ込められてしまいます」とグリップフックが言った。
「中に誰か閉じ込められていないかどうか、時々調べるの?」とハリーが聞いた。
「十年に一度ぐらいでございます」
グリップフックはニヤリと笑った。こんなに厳重に警護された金庫だもの、きっと特別なすごいものがあるに違いない。ハリーは期待して身を乗り出した。少なくとも眩い宝石か何かが……。中を見た……なんだ、空っぽじゃないか、とはじめは思った。次に目に入ったのは、茶色の紙でくるまれた薄汚れた小さな包みだ。床に転がっている。ハグリッドはそれを拾い上げ、コートの奥深くしまい込んだ。ハリーはそれがいったい何なのか知りたくてたまらなかったが、聞かない方がよいのだとわかっていた。
「行くぞ。地獄のトロッコへ。帰り道は話しかけんでくれよ。俺は口を閉じているのが一番よさそうだからな」
もう一度猛烈なトロッコを乗りこなして、陽の光にパチクリしながら二人はグリンゴッツの外に出た。バッグいっぱいのお金を持って、まず最初にどこに行こうかとハリーは迷った。ポンドに直したらいくらになるかなんて、計算しなくとも、ハリーはこれまでの人生で持ったことがないほどたくさんのお金を持っている……ダドリーでさえ持ったことがないほどの額だ。
「制服を買った方がいいな」
ハグリッドは マダムマルキンの洋装店――普段着から式服まで の看板を顎で指した。
「なあ、ハリー。『漏れ鍋』でちょっとだけ元気薬をひっかけてきてもいいかな? グリンゴッツのトロッコにはまいった」
ハグリッドは、まだ青い顔をしていた。ハグリッドといったんそこで別れ、ハリーはどぎまぎしながらマダム・マルキンの店に一人で入っていった。
マダム・マルキンは、藤色ずくめの服を着た、愛想のよい、ずんぐりした魔女だった。
「坊ちゃん。ホグワーツなの?」
ハリーが口を開きかけたとたん、声をかけてきた。
「全部ここで揃いますよ……もう一人お若い方が丈を合わせているところよ」
店の奥の方で、青白い、顎の尖がった男の子が踏台の上に立ち、もう一人の魔女が長い黒いローブをピンで留めていた。マダム・マルキンはハリーをその隣の踏台に立たせ、頭から長いローブを着せかけ、丈を合わせてピンで留めはじめた。
「やあ、君もホグワーツかい?」男の子が声をかけた。
「うん」とハリーが答えた。
「僕の父は隣で教科書を買ってるし、母はどこかその先で杖を見てる」
男の子は気だるそうな、気取った話し方をする。
「これから、二人を引っぱって競技用の箒を見にいくんだ。一年生が自分の箒を持っちゃいけないなんて、理由がわからないね。父を脅して一本買わせて、こっそり持ち込んでやる」
ダドリーにそっくりだ、とハリーは思った。
「君は自分の箒を持ってるのかい?」
男の子はしゃべり続けている。
「ううん」
「クィディッチはやるの?」
「ううん」
クィディッチ? 一体全体何だろうと思いながらハリーは答えた。
「僕はやるよ――父は僕が寮の代表選手に選ばれなかったらそれこそ犯罪だって言うんだ。僕もそう思うね。君はどの寮に入るかもう知ってるの?」
「ううん」
だんだん情けなくなりながら、ハリーは答えた。
「まあ、ほんとのところは、行ってみないとわからないけど。そうだろう? だけど僕はスリザリンに決まってるよ。僕の家族はみんなそうだったんだから……ハッフルパフなんかに入れられてみろよ。僕なら退学するな。そうだろう?」
「ウーン」
もうちょっとましな答えができたらいいのにとハリーは思った。
「ほら、あの男を見てごらん!」
急に男の子は窓の方を顎でしゃくった。ハグリッドが店の外に立っていた。ハリーの方を見てニッコリしながら、手に持った二本の大きなアイスクリームを指さし、これがあるから店の中には入れないよ、という手振りをしていた。
「あれ、ハグリッドだよ」
この子が知らないことを自分が知っている、とハリーはうれしくなった。
「ホグワーツで働いてるんだ」
「ああ、聞いたことがある。一種の召使いだろ?」
「森の番人だよ」
時間が経てばたつほど、ハリーはこの子が嫌いになっていた。
「そう、それだ。言うなれば野蛮人だって聞いたよ……学校の領地内のほったて小屋に住んでいて、しょっちゅう酔っ払って、魔法を使おうとして、自分のベッドに火をつけるんだそうだ」
「彼って最高だと思うよ」ハリーは冷たく言い放った。
「へえ?」
男の子は鼻先でせせら笑った。
「どうして君と一緒なの? 君の両親はどうしたの?」
「死んだよ」
ハリーはそれしか言わなかった。この子に詳しく話す気にはなれない。
「おや、ごめんなさい」
謝っているような口振りではなかった。
「でも、君の両親も僕らと同族なんだろう?」
「魔法使いと魔女だよ。そういう意味で聞いてるんなら」
「他の連中は入学させるべきじゃないと思うよ。そう思わないか? 連中は僕らと同じじゃないんだ。僕らのやり方がわかるような育ち方をしてないんだ。手紙をもらうまではホグワーツのことだって聞いたこともなかった、なんてやつもいるんだ。考えられないようなことだよ。入学は昔からの魔法使い名門家族にかぎるべきだと思うよ。君、家族の姓は何て言うの?」
ハリーが答える前に、マダム・マルキンが「さあ、終わりましたよ、坊ちゃん」と言ってくれたのを幸いに、ハリーは踏台からポンと跳び降りた。この子との会話をやめる口実ができて好都合だ。
「じゃ、ホグワーツでまた会おう。たぶんね」と気取った男の子が言った。
店を出て、ハグリッドが持ってきたアイスクリームを食べながら(ナッツ入りのチョコレートとラズベリーアイスだ)、ハリーは黙りこくっていた。
「どうした?」ハグリッドが聞いた。
「なんでもないよ」
ハリーは嘘をついた。
次は羊皮紙と羽根ペンを買った。書いているうちに色が変わるインクを見つけて、ハリーはちょっと元気が出た。店を出てから、ハリーが聞いた。
「ねえ、ハグリッド。クィディッチってなあに?」
「なんと、ハリー。おまえさんがなんにも知らんということを忘れとった……クィディッチを知らんとは!」
「これ以上落ち込ませないでよ」
ハリーはマダム・マルキンの店で出会った青白い子の話をした。
「……その子が言うんだ。マグルの家の子はいっさい入学させるべきじゃないって……」
「おまえはマグルの家の子じゃない。おまえが何者なのかその子がわかっていたらなあ……その子だって、親が魔法使いなら、おまえさんの名前を聞きながら育ったはずだ……魔法使いなら誰だって、『漏れ鍋』でおまえさんが見たとおりなんだよ。とにかくだ、そのガキに何がわかる。俺の知ってる最高の魔法使いの中には、長いことマグルの家系が続いて、急にその子だけが魔法の力を持ったという者もおるぞ……おまえの母さんを見ろ! 母さんの姉がどんな人間か見てみろ!」
「それで、クィディッチって?」
「俺たちのスポーツだ。魔法族のスポーツだよ。マグルの世界じゃ、そう、サッカーだな――誰でもクィディッチの試合に夢中だ。箒に乗って空中でゲームをやる。ボールは四つあって……ルールを説明するのはちと難しいなあ」
「じゃ、スリザリンとハッフルパフって?」
「学校の寮の名前だ。四つあってな。ハッフルパフには劣等生が多いとみんなは言うが、しかし……」
「僕、きっとハッフルパフだ」ハリーは落ち込んだ。
「スリザリンよりはハッフルパフの方がましだ」ハグリッドの表情が暗くなった。
「悪の道に走った魔法使いや魔女は、みんなスリザリン出身だ。『例のあの人』もそうだ」
「ヴォル……あ、ごめん……『あの人』もホグワーツだったの?」
「昔々のことさ」
次に教科書を買った。「フローリシュ・アンド・ブロッツ書店」の棚は、天井まで本がぎっしり積み上げられていた。敷石ぐらいの大きな革製本、シルクの表紙で切手くらいの大きさの本もあり、奇妙な記号ばかりの本があるかと思えば、何にも書いてない本もあった。本など読んだことがないダドリーでさえ、夢中で触ったに違いないと思う本もいくつかあった。ハグリッドは、ヴィンディクタス・ヴェリディアン著「呪いのかけ方、解き方(友人をうっとりさせ、最新の復讐方法で敵を困らせよう――ハゲ、クラゲ脚、舌もつれ、その他あの手この手――)」を読み耽っているハリーを、引きずるようにして連れ出さなければならなかった。
「僕、どうやってダドリーに呪いをかけたらいいか調べてたんだよ」
「それが悪いちゅうわけではないが、マグルの世界ではよっぽど特別な場合でないと魔法を使えんことになっておる。それにな、呪いなんておまえさんにはまだどれも無理だ。そのレベルになるにはもっとたーぁくさん勉強せんとな」
ハグリッドは「リストに錫の鍋と書いてあるだろが」と言って純金の大鍋も買わせてくれなかった。そのかわり、魔法薬の材料を計る秤は上等なのを一揃い買ったし、真鍮製の折畳み式望遠鏡も買った。次は薬問屋に入った。悪くなった卵と腐ったキャベツの混じったようなひどい臭いがしたが、そんなことは気にならないほどおもしろいところだった。ヌメヌメしたものが入った樽詰が床に立ち並び、壁には薬草や乾燥させた根、鮮やかな色の粉末などが入った瓶が並べられ、天井からは羽根の束、牙やねじ曲がった爪が糸に通してぶら下げられている。カウンター越しにハグリッドが基本的な材料を注文している間、ハリーは、一本二十一ガリオンの銀色の一角獣の角や、小さな、黒いキラキラした黄金虫の目玉(一さじ五クヌート)をしげしげと眺めていた。
薬問屋から出て、ハグリッドはもう一度ハリーのリストを調べた。
「あとは杖だけだな……おお、そうだ、まだ誕生祝いを買ってやってなかったな」
ハリーは顔が赤くなるのを感じた。
「そんなことしなくていいのに……」
「しなくていいのはわかってるよ。そうだ。動物をやろう。ヒキガエルはだめだ。だいぶ前から流行遅れになっちょる。笑われっちまうからな……猫、俺は猫は好かん。くしゃみが出るんでな。ふくろうを買ってやろう。子どもはみんなふくろうを欲しがるもんだ。なんちゅったって役に立つ。郵便とかを運んでくれるし」
イーロップふくろう百貨店は、暗くてバタバタと羽音がし、宝石のように輝く目があちらこちらでパチクリしていた。二十分後、二人は店から出てきた。ハリーは大きな鳥籠を下げている。籠の中では、雪のように白い美しいふくろうが、羽に頭を突っ込んでぐっすり眠っている。ハリーは、まるでクィレル教授のようにどもりながら何度もお礼を言った。
「礼はいらん」ハグリッドはぶっきらぼうに言った。
「ダーズリーの家ではほとんどプレゼントをもらうことはなかったんだろうな。あとはオリバンダーの店だけだ……杖はここにかぎる。杖のオリバンダーだ。最高の杖を持たにゃいかん」
魔法の杖……これこそハリーが本当に欲しかった物だ。
最後の買い物の店は狭くてみすぼらしかった。剥がれかかった金色の文字で、扉に オリバンダーの店――紀元前三八二年創業 高級杖メーカー と書いてある。埃っぽいショーウィンドウには、色褪せた紫色のクッションに、杖が一本だけ置かれていた。
中に入るとどこか奥の方でチリンチリンとベルが鳴った。小さな店内に古くさい椅子が一つだけ置かれていて、ハグリッドはそれに腰掛けて待った。ハリーは妙なことに、規律の厳しい図書館にいるような気がした。ハリーは、新たに湧いてきたたくさんの質問をグッと呑み込んで、天井近くまで整然と積み重ねられた何千という細長い箱の山を見ていた。なぜか背中がぞくぞくした。埃と静けさそのものが、密かな魔力を秘めているようだった。
「いらっしゃいませ」
柔らかな声がした。ハリーは跳び上がった。ハグリッドも跳び上がったに違いない。古い椅子がバキバキと大きな音をたて、ハグリッドは慌てて華奢な椅子から立ち上がった。
目の前に老人が立っていた。店の薄明かりの中で、大きな薄い色の目が、二つの月のように輝いている。
「こんにちは」ハリーがぎごちなく挨拶した。
「おお、そうじゃ」と老人が言った。
「そうじゃとも、そうじゃとも。まもなくお目にかかれると思ってましたよ、ハリー・ポッターさん」
ハリーのことをもう知っている。
「お母さんと同じ目をしていなさる。あの子がここに来て、最初の杖を買っていったのがほんの昨日のことのようじゃ。あの杖は二十六センチの長さ。柳の木でできていて、振りやすい、妖精の呪文にはぴったりの杖じゃった」
オリバンダー老人はさらにハリーに近寄った。ハリーは老人が瞬きしてくれたらいいのにと思った。銀色に光る目が少し気味悪かったのだ。
「お父さんの方はマホガニーの杖が気に入られてな。二十八センチのよくしなる杖じゃった。どれより力があって変身術には最高じゃ。いや、父上が気に入ったと言うたが……実はもちろん、杖の方が持ち主の魔法使いを選ぶのじゃよ」
オリバンダー老人が、ほとんど鼻と鼻がくっつくほどに近寄ってきたので、ハリーには自分の姿が老人の霧のような瞳の中に映っているのが見えた。
「それで、これが例の……」
老人は白く長い指で、ハリーの額の稲妻形の傷痕に触れた。
「悲しいことに、この傷をつけたのも、わしの店で売った杖じゃ」静かな言い方だった。
「三十四センチもあってな。イチイの木でできた強力な杖じゃ。とても強いが、間違った者の手に……そう、もしあの杖が世の中に出て、何をするのかわしが知っておればのう……」
老人は頭を振り、そして、ハグリッドに気づいたので、ハリーはほっとした。
「ルビウス! ルビウス・ハグリッドじゃないか! また会えてうれしいよ……四十一センチの樫の木。よく曲がる。そうじゃったな」
「ああ、じいさま。そのとおりです」
「いい杖じゃった。あれは。じゃが、おまえさんが退学になった時、真っ二つに折られてしもうたのじゃったな?」
オリバンダー老人は急に険しい口調になった。
「いや……あの、折られました。はい」
ハグリッドは足をモジモジさせながら答えた。
「でも、まだ折れた杖を持ってます」
ハグリッドは威勢よく言った。
「じゃが、まさか使ってはおるまいの?」オリバンダー老人はピシャリと言った。
「とんでもない」
ハグリッドは慌てて答えたが、そう言いながらピンクの傘の柄をギュッと強く握りしめたのをハリーは見逃さなかった。
「ふーむ」
オリバンダー老人は探るような目でハグリッドを見た。
「さて、それではポッターさん。拝見しましょうか」
老人は銀色の目盛りの入った長い巻尺をポケットから取り出した。
「どちらが杖腕ですかな?」
「あ、あの、僕、右利きです」
「腕を伸ばして。そうそう」
老人はハリーの肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から腋の下、頭の周り、と寸法を採った。測りながら老人は話を続けた。
「ポッターさん。オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力を持った物を芯に使っております。一角獣のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。一角獣も、ドラゴンも、不死鳥も皆それぞれに違うのじゃから、オリバンダーの杖には一つとして同じ杖はない。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほどの力は出せないわけじゃ」
ハリーは巻尺が勝手に鼻の穴の間を測っているのにハッと気がついた。オリバンダー老人は棚の間を飛び回って、箱を取り出していた。
「もうよい」と言うと、巻尺は床の上に落ちて、クシャクシャと丸まった。
「では、ポッターさん。これをお試しください。ぶなの木にドラゴンの心臓の琴線。二十三センチ、良質でしなりがよい。手に取って、振ってごらんなさい」
ハリーは杖を取り、なんだか気恥ずかしく思いながら杖をちょっと振ってみた。オリバンダー老人は、あっと言う間にハリーの手からその杖をもぎ取ってしまった。
「楓に不死鳥の羽根。十八センチ、振り応えがある。どうぞ」
ハリーは試してみた……しかし、振り上げるか上げないうちに、老人がひったくってしまった。
「だめだ。いかん――次は黒檀と一角獣のたてがみ。二十二センチ、バネのよう。さあ、どうぞ試してください」
ハリーは、次々と試してみた。いったいオリバンダー老人は何を期待しているのかさっぱりわからない。試し終わった杖の山が古い椅子の上にだんだん高く積み上げられてゆく。それなのに、棚から新しい杖を下ろすたびに、老人はますますうれしそうな顔をした。
「難しい客じゃの。え? 心配なさるな。必ずピッタリ合うのをお探ししますでな。……さて、次はどうするかな……おお、そうじゃ……めったにない組み合わせじゃが、柊と不死鳥の羽根、二十八センチ、良質でしなやか」
ハリーは杖を手に取った。急に指先が暖かくなった。杖を頭の上まで振り上げ、埃っぽい店内の空気を切るようにヒュッと振り下ろした。すると、杖の先から赤と金色の火花が花火のように流れ出し、光の玉が踊りながら壁に反射した。ハグリッドは「オーッ」と声をあげて手を叩き、オリバンダー老人は「ブラボー!」と叫んだ。
「すばらしい。いや、よかった。さて、さて、さて……不思議なこともあるものよ……まったくもって不思議な……」
老人はハリーの杖を箱に戻し、茶色の紙で包みながら、まだブツブツと繰り返していた。
「不思議じゃ……不思議じゃ……」
「あのう。何がそんなに不思議なんですか」とハリーが聞いた。
オリバンダー老人は淡い色の目でハリーをじっと見た。
「ポッターさん。わしは自分の売った杖はすべて覚えておる。全部じゃ。あなたの杖に入っている不死鳥の羽根はな、同じ不死鳥が尾羽根をもう一枚だけ提供した……たった一枚だけじゃが。あなたがこの杖を持つ運命にあったとは、不思議なことじゃ。兄弟羽が……なんと、兄弟杖がその傷を負わせたというのに……」
ハリーは息を呑んだ。
「さよう。三十四センチのイチイの木じゃった。こういうことが起こるとは、不思議なものじゃ。杖は持ち主の魔法使いを選ぶ。そういうことじゃ……。ポッターさん、あなたはきっと偉大なことをなさるに違いない……。『名前を言ってはいけないあの人』もある意味では、偉大なことをしたわけじゃ……恐ろしいことじゃったが、偉大には違いない」
ハリーは身震いした。オリバンダー老人があまり好きになれない気がした。杖の代金に七ガリオンを支払い、オリバンダー老人のお辞儀に送られて二人は店を出た。
夕暮近くの太陽が空に低くかかっていた。ハリーとハグリッドはダイアゴン横丁を、元来た道へと歩き、壁を抜けて、もう人気のなくなった「漏れ鍋」に戻った。ハリーは黙りこくっていた。変な形の荷物をどっさり抱え、膝の上で雪のように白いふくろうが眠っている格好のせいで、地下鉄の乗客が唖然として自分のことを見つめていることにハリーはまったく気づかなかった。パディントン駅で地下鉄を降り、エスカレーターで駅の構内に出た。ハグリッドに肩を叩かれて、ハリーはやっと自分がどこにいるのかに気づいた。
「電車が出るまで何か食べる時間があるぞ」
ハグリッドが言った。
ハグリッドはハリーにハンバーガーを買ってやり、二人はプラスチックの椅子に座って食べた。ハリーは周りを眺めた。なぜかすべてがちぐはぐに見える。
「大丈夫か? なんだかずいぶん静かだが」とハグリッドが声をかけた。
ハリーは何と説明すればよいかわからなかった。こんなにすばらしい誕生日は初めてだった……それなのに……ハリーは言葉を探すようにハンバーガーをかじった。
「みんなが僕のことを特別だって思ってる」
ハリーはやっと口を開いた。
「『漏れ鍋』のみんな、クィレル先生も、オリバンダーさんも……でも、僕、魔法のことは何も知らない。それなのに、どうして僕に偉大なことを期待できる? 有名だって言うけれど、何が僕を有名にしたかさえ覚えていないんだよ。ヴォル……あ、ごめん……僕の両親が死んだ夜だけど、僕、何が起こったのかも覚えていない」
ハグリッドはテーブルのむこう側から身を乗り出した。モジャモジャの髯と眉毛の奥に、優しい笑顔があった。
「ハリー、心配するな。すぐに様子がわかってくる。みんながホグワーツで一から始めるんだよ。大丈夫。ありのままでええ。そりゃ大変なのはわかる。おまえさんは選ばれたんだ。大変なことだ。だがな、ホグワーツは、楽しい。俺も楽しかった。いまも実は楽しいよ」
ハグリッドは、ハリーがダーズリー家に戻る電車に乗り込むのを手伝った。
「ホグワーツ行きの切符だ」
ハグリッドは封筒を手渡した。
「九月一日――キングズ・クロス駅発――全部切符に書いてある。ダーズリーのとこでまずいことがあったら、おまえさんのふくろうに手紙を持たせてよこしな。ふくろうが俺のいるところを探し出してくれる。……じゃあな。ハリー。またすぐ会おう」
電車が走り出した。ハリーはハグリッドの姿が見えなくなるまで見ていたかった。座席から立ち上がり、窓に鼻を押しつけて見ていたが、瞬きをしたとたん、ハグリッドの姿は消えていた。